20231217

昨日の自分よりも明日の自分のほうが、より他人感がある。

死に続けているし生まれ続けているんだよ。消えゆく線が永遠である理由がそこにある。目の前に広がる景色は、時が進んでいるから見えるものでなく、君が駆け抜けているから見える光景であるということ。それ以外ではあり得ないということを今日行った展覧会で思った。

この間、図書館で借りた本を読んでいて、縄文土器はオシャレでクールで面白いのに、弥生土器はどうしてこんなに平坦で単調でつまらないんだろうと思った。縄文土器からは作る側使う側の拘りとか納得感とかを感じるけど、弥生土器からは、その器が別の似た器にすり替わっていても気づかなさそうな感じ、100円均一のプラスチック製の器、ファストファッション味がある。

もううまい棒買うの恥ずかしい歳になってきたなと思う。というかスーパーで何を買っても恥ずかしい。お惣菜でも、スナック菓子でも、食欲が明け透けになってしまっていること、食べたくて食べたくて仕方なくてそれらを持ってレジに向かっているということ、かなり恥ずかしい。逆に、ケチャップとかそういった調味料は調理というワンクッションが入る可能性が高く何を食すのか推測が難しくなることから、そこまで恥ずかしくはならない。けれどもお惣菜とか、もしレジで店員さんに「これ美味しいですよね」とか言われたら、沸騰した血液が肉を突き破り爆発する。そのくらい恥ずかしい。