アンパンマンの善意と飴

人からこれあげると渡される飴は基本的に要らない。

理由 : 要らないから。断る労力よりもそれを受け取り要らないものとして手に握っている労力のほうがエネルギーとしてコンパクトである。しかし、事実要らない。要らない物を要らない物として持っている精神的な負荷って案外大きかったりもする。善意を断られた人間の顔は気まずそうで少し怖い。アンパンマンが与えるアンパンを断っているキャラクターを見たことがあるだろうか。アンパンの材料やジャムおじさんの労力、そして彼のピュアな善意から自身の生命を脅かしてまで行われる、そのあまりにも凄惨な善行を、要らないから、あるいはアンパンよりもラーメンの気分だからという理由で断ると気まずい感じになってしまうだろう。おそらくアンパンマン側も自らの顔を崩してまで差し伸べたアンパンを簡単に引き下げることはできない。私は目撃してしまったその果てしない自己犠牲の精神を前に、要らない、アンパンの気分じゃない、という気持ちも一瞬怯んでしまい、気がつけば差し出されたアンパンを握っていた。要らない。こんなことになるなら今日外に出るんじゃなかった。アンパンマンは自分の頭の一部を握った私のことを、見つめている。その真っ黒な瞳で、私が口にするのを今か今かと、見つめている。私は握ったアンパンを空腹に耐えかねた戦争孤児が盗んだイモを食べる時のように、貪った。食べてしまったことによって、よりコントラストされてくる、圧倒的これじゃない感。私がアンパンを食べ始めると、アンパンマンはその瞬間、初めて笑顔になった。彼のその姿は他者の生殺与奪権を掌握する快感の中毒になった独裁者のようにも思えた。助けられているはずなのに、誰か助けてくれという気持ち。必死で食らいついていると、

「クァーッ!クァーッ!クァーッ!」

張り詰めた空気を貫いた鳥の鳴き声に驚いてしまった私は、持っていたアンパンを地面に落としてしまった。殺されると思った。私は迷わずアンパンを拾い上げると、無理やり口に押し込んだ。アンパンマンは、私が落としたアンパンを飲み込んだことを確認すると、一応私の調子を気にするような発言をし、何処かへと、そのマントをなびかせて飛んで行った。

飴をもらう側は飴を渡す側の何か人に親切をしたい世話をしたい、そしてできればこの善行に対する好意的なリアクションが欲しいという気持ちに応えなければならない。食べたくないのに。要らないのに。善行は時として、その行為を行う者からでなければ善であると捉え難い、そういう場合もある。