命の光沢

ゴディバが高級チョコレート屋さんということは、もうみんな実際に売られているチョコレートを見たことがあるか、あるいは人づてに聞いたりして知っている。けれど、ゴディバってなんかイメージ体がどんどんとチープ化していっているような感じがする。出回ってしまった、みんなが口にしてしまった、そのうちコラボデザートとして給食にも出てきそう。手にすることができるか否か、自分を試されてるような感覚が全くしない。出向く手間がない。勝手に向こうから近づいてくるから。チョコレートと自分との関係の中に必然性を見出すことができない。それを手にしてみたいと思う気持ちを、それを手にするまでに分解されてしまう、そんなような感じがする。母親の知り合いから送られてきたゴディバのアイスケーキが冷凍庫にあるのを見て、なんだか切ないような悲しいような気分になった。

自分は普段、あまり人と会話らしい会話をすることがないから、たまに友達と会話することがあると、自分の話を聞いて欲しくてつんのめって、状況に浮かれて、破裂しそうな虚栄心に本当を掻き乱されて、部屋で1人きりになってから、なんでもっと落ち着いて人の話を聞きながら自分の思ったことを言えなかったのかと思う。こんな自分のことがいやらしく思えて恥ずかしくてバカで、どうしようもなく存在している。実体として、今ここに。そういうことを思う。それでもなんとなく数ヶ月後先くらいまでは自分が生きているような予感がするから、少しでも自分がマシになれるようにはどうしたらいいのか考えて生きる。どうせ生きるなら昨日の自分より1時間前の自分よりマシになり続けたい。命の光沢を失いたくない。